曽我の里(小田原市) その2

晩秋の梅林はまだ葉が濃く全体が暗い。
古木を切り倒し、若木を植え替えた場所だけがぽっかりと明るい。
03年春に向けて林のあちこちで作業していた。
畑のように土を耕し、木の根元をわらで覆い、堆肥を施す。
余分な枝を切り落とす人もいた。

八幡社の境内にあるイチョウの大木には、
少し赤みがかった銀杏が鈴なりになって日に輝いていた。
法蓮寺前あたりからミカン畑が広がり、
つややかな葉の緑と実の黄色の対比が鮮やかだ。
庭木にレモンやユズを植えている家もあった。
マツバボタンの濃いピンクと対照的に茶の木が名残の花を白く咲かせる。
サンゴジュやカラスウリの赤い実などが、
色彩豊かに梅林を取り巻いていた。

曽我の里(小田原市) その1

「あっ!あそこにキジが」と、
ボランティアでガイドをしている地元の曽我勤さん(76)が指さした。
小さなニワトリほどの黒っぽい鳥が2羽、
ほの暗い梅林の草地をジグザグに疾走し、
数秒で視界から消えた。
曽我の里には、原や別所などの梅林が散在する。
その数は計約90ヘクタールに約3万本。
等間隔に植えられた梅は田んぼのように区切られ、縦横に道が走る。
見上げると霜害防止用の扇風機が風でゆっくりと回っていた。

356

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ポルシェ356 (Porsche 356) とはドイツの自動車メーカーであるポルシェ社が1948年から製造を開始したスポーツカーである。
製品名にポルシェの名を冠した初の自動車である。

スポーツカーとしての高性能と、居住性、実用性とを高度に満たした小型スポーツカーであり、
第二次世界大戦後の小型スポーツカーの分野における一つの指標ともなった存在である。

1931年の創業以来、他社請負の車輌設計・開発を主な業務としてきたポルシェ社が、独立系メーカーとしての新たな活路をスポーツカー分野に見出し、第二次世界大戦終戦後に開発に着手した小型スポーツカーである。「356」の名称は、ポルシェ社内の開発コードから来たものである。

設計を主に担当したのはポルシェ社創業者フェルディナント・ポルシェの息子のフェルディナント・アントン・エルンスト・ポルシェ (一般にはフェリー・ポルシェの名で知られる。Ferdinand Anton Ernst Porsche) である。スタイリングはフォルクスワーゲン・タイプ1(いわゆる「ビートル」)のスタイリングも手がけたポルシェ社員のエルヴィン・コメンダ (Erwin Komenda) による。

356と、フェルディナント・ポルシェ設計のビートルには共通点が多いが、その前段階として、1940年にフォルクスワーゲンをベースとしてポルシェの手で開発された「ベルリン・ローマ・レーサー」の存在がある。このレース用2ドア・クローズド・クーペは、後の356に類似したスタイルを備え、高いポテンシャルを備えていたが、第二次世界大戦の激化に伴って目的としたレース開催が頓挫したことで活躍の機会を失った。356は、ベルリン・ローマ・レーサーの思想を受け継いだ存在とも言える。

この車が今のスポーツタイプの車の原型でもあるんですね。
どんな感じの車だったんだろう。

カレラGT

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ポルシェ・カレラGT (Porsche carrera GT)は、ポルシェ社のスーパーカーである。

カレラGTは、20世紀末期から21世紀にかけてのスーパーカーのメインストリームである大排気量にしてハイパワーなマルチシリンダーエンジン、オールカーボンファイバーで成型したボディまたはシャシー、レーシングカーに準じたエンジニアリング、それに相反するラグジュアリーな快適性能などに乗って製作された。

しかしその源流には、ル・マン24時間レースなど主役がメルセデスベンツ・CLK‐GTRや日産・R390などのGTクラスからプロトタイプカークラス移行したことに端を発している。
ポルシェもそうした波に翻弄された当事者の一つで、カレラGT開発の根幹には、次期GTクラスレーシングカーとして開発されていたものを期せずして転用できる機会に恵まれたことで計画が加速したことが挙げられる。

うわーかっこいい車・・・。
ちなみに実際に買おうとすると5000万円はくだらないとか。
よほどの金持ちしか買えないなぁ。

968

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ポルシェ 968(Porsche 968 )とはポルシェにより1991年にポルシェ・944の後継としてリリースされ、1997年まで生産されたスポーツカーである。
現在のところポルシェ製水冷FRスポーツカーの最終モデル。

北米の好景気に大量に売れた944が中古車市場で値崩れを起こし始めた中で、
根本てこ入れ策としてモデルチェンジが必要となったポルシェは、
かつて924のデザインを手がけたハーム・ラガーイ(Harm Lagaay )に944のデザインをリニューアルさせるとともに、S2のエンジンをベースにポルシェ特許の可変バルブタイミング機構であるヴァリオカム(Vario Cam )を吸気側に組み込む事で自然吸気で240馬力を発生する新エンジンを搭載し、1991年のフランクフルトショーで発表した。また生産はシュツットガルトのポルシェ工場で行われた。

また、カブリオレの人気が高い北米を意識して、電動ソフトトップのカブリオレモデルを1992年当初からラインアップした。実際カブリオレモデルの人気は高く、出荷台数の半数近くがカブリオレだった。

しかし、4気筒エンジンを根本的にリニューアルできなかったことが944の焼き直しと受け取られ、値段の設定も悪く当初販売は不振を極めた。


サーキットトラックでの走行モデルとしてCSは現在でも最高のバランスと評価されているが、
販売が予想以上に下回った結果、コード986として開発されたポルシェ・ボクスターがデビューした1996年の約一年後の1997年春に911がフルモデルチェンジするのを待たずして生産を終了した。


たしかに、人気があるものにそっくりなものを出してしまうと、
二番煎じととられかねませんからね…なかなか販売って難しいですね。